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医院・院長のご紹介

​叔母の代から三代・65年以上
新富町の健康を支えてきました

吉井医院は、現院長・吉井治の叔母である吉井田鶴子が、昭和31年(1956年)に開設した医院です。

田鶴子は、帝国女子医学専門学校(現東邦大学医学部)の第1回生として卒業しました。当時、女性が医学を学ぶことはまだまだ一般的ではありませんでしたが、強い想いで周囲を説得したそうです。昭和12年には、女性としては日本ではじめての医学博士号を取得し、勤務医を経て、昭和31年に「吉井内科医院」を開設しました。

その後、二代院長の吉井恒雄が同医院を承継し、「吉井医院」と名称を変更しました。恒雄も、昭和45年に順天堂大学 病理学教室助教授にも就任するなど、精力的な医師でした。
 

そんな二人の情熱と、地域への想いを引き継ぎ、平成7年より、現院長の吉井治が三代目院長を務めています。

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​初代院長・吉井田鶴子の医師免許。

今は無き内務省管轄の時代でした。

吉井医院について

​院長・吉井治プロフィール

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皆さんの大事な体の健康を守るお手伝いが出来ればと願っています。
病気の事や治療について少しでも疑問に思う事があれば遠慮なく質問してください。

1967年6月に3人息子の次男として誕生する。
公立永田町小学校から開成学園で中高生時代を過ごす。高校1年生の時に医学部を目指すことを決意し、理系へ転換し順天堂大学医学部に現役合格。
国家試験合格後は病理医と、対話の出来る臨床医を目指すため、順天堂大学医学研究科病理学第一教室に大学院生として入局。外科病理や、病理解剖の実務と博士論文のため研究生活を送る。大学院4年生の時に父の急逝のため吉井医院院長となる。
大学院卒業と同時に臨床研修のため順天堂大学医学部付属浦安病院で内科研修ののち、自衛隊中央病院にて内視鏡の研修、現在も東京山手メディカルセンターの内視鏡センターにて非常勤医師として勤務している。
吉井医院では一般内科外来の他、在宅医療や産業医活動を通じて社会参加する医療を実践している。
また東京都中央区医師会の訪問看護ステーション部理事を9年務め、中央区在宅医療の中心的存在に育て上げる。先代の背中をみて感じた「人は産まれる場所は選べないが最後の場所を決めることは出来る」という想いで往診や訪問診療を実践している。また中央区立中央小学校学校医や幼稚園、保育園の園医を行い、子供たちの笑顔を縁の下で支えている。
プライベートではゴルフ・スキューバダイビングの他に、2013年から作曲家三枝成彰氏が団長の六本木男声合唱団倶楽部ZIG‐ZAGに入団し、テノール2に所属し公演活動にも参加。2018年6月にニューヨークのカーネギーホール公演に参加し、団長作曲の「最後の手紙」を歌い上げた。

2023年11月22日には築地本願寺本堂でのチャリティーコンサートを企画し本堂で団長編曲「日本の歌」と作曲の「天涯」の上演を成功に導いた。

当院の感染対策

その他の対策

  • トイレは人感センサーに変更しました。
     

  • 全館の壁紙は耐熱・抗ウイルス仕様に変更しました。

医療機器の更新

  • 一般撮影装置(レントゲン撮影装置)にFPD(フラットパネルディテクタ)を導入いたしました。従来まではCR(コンピューテッド ラジオグラフィ)装置にて撮影を行ってきましたが、より被曝を低減するためにこのたびコニカミノルタ社製「FPD(フラットパネルディテクタ)」)導しました。
    従来のCR装置に比べ20%ほど被曝を低減することができます。またCR装置では必要だったカセット交換もなくなりX線撮影後後1秒台で画像が表示され待ち時間など大幅に短縮されました。

感染対策

​院内の雰囲気

​医療機器のご紹介

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